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自分の心が軽くなる方を選択し続けると、物事はたいていうまく行く

メンタルケア

生きていると、いいことばかりではありません。

かと言って、「あれもイヤだ、これもキライ、それもおもしろくない!」と自分の人生にダメ出しばかりしていては、本当にイヤでおもしろくないことに埋もれていってしまいます。

とは言っても、無理に「明るく楽しく元気よくポジティブに」振る舞う必要はないと思うので(ちょっと怖いですから)、このバランスって難しいよなとずっと思っていました。

本来、イヤなことはイヤ、楽しいことは楽しい。それだけでいいと思うのですが、自己啓発だったりスピリチュアルだったりが隆盛した昨今ではなんだか「幸せ理論」が複雑怪奇に絡み合って、「生きやすさ」を求めていたはずがよけい「生きづらく」なってしまっているような気がします。

かく言う私も行き詰まったときに「幸せに生きるには?」などと問答を繰り返した経験があります(笑)。そして、あれこれ悩み苦しみ考え抜いた結果、行きついたのは「もしや…何を選んでも大差ないのでは??」という身もふたもない結論でした。

何を選んでも大差ないなら、あれこれ考えるのは時間の無駄です。だって考えて何かを選んだとしても、考えずに何かを選んだ場合と大差ないわけですから。

なので、目の前にでーんと鎮座している悩ましい問題に関しても「いい気分になるか」それとも「イヤな気分になるか」そういう「気分」とか「いい感じ」とか「イヤな感じ」とか感覚的なものに判断を委ねて動いていったほうがずっとうまく行くということが分かりました。

 

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問題に直面したら「自分の心」に聞いてみる

何か問題が起こったら、イヤなことが起こったら、まずは自分の心にどうしたいのか聞いてみてください。

ただ単に「どうしたいのか?」と聞いても「あーでもない、こーでもない、こうなってほしいけど無理だからイライラしてるんだし…」とかそういう結論のない答えにグルグルしてしまうはず。

そこで、問いかけを「2択」にしてみましょう。その直面している問題について、Aがいいか/Aじゃない方がいいか。「A」と「Aじゃない」を天秤にかけるイメージです。

このとき注意してほしいのは、「Aがいいか/Bがいいか」にしないことです。AとBの両方ともイヤ度が同じくらいかもしれないからです。なので、Aがいいか/Aじゃない方がいいかと反対のことを問いかけるようにしてみてください。

 

楽な方を選ぶと、心の方向と行動の方向が合う

たとえば、仕事がものすごくイヤでイヤで仕方がないとします。毎朝「はあ~、つらい…会社行きたくない…」とイヤな思いをしながら出勤しています。これの何が問題なのかと言うと、「行きたくない」のに「行く」という逆方向のことをやっていることなのです。

心の向きと行動の向きが真逆なのです。この例に限らず、心が疲れていく・精神が疲弊していく原因はこれにつきると思っています。

かと言って、いきなり「じゃあ、行きたくないから行かない」という決断ができるかというと、そうもいかないのが大人の事情です。大人になると、本質の「行きたいか行きたくないか」だけで決断できなくなります。

その周りに付随する一見関係なさそうなもろもろの要件まですべてひっくるめて考えないといけなくなるわけです。

そこで、あらためて心への問いかけをしてみましょう。

「今日会社へ行く?」「今日会社へ行かない?」

こう問いかけたときに、「会社へ行く」方が「行かない」よりは気が楽だと感じるのであれば行った方がいいでしょう。

「行かない行かない!」とルンルンで思ったなら休めばいいと思います。

休むことで特に何も悪いことは起こりません。逆に「会社休みたいけど、仮病を使って休むと出社したときにウソを取り繕うのがめんどくさいな、仮病だったんじゃないかと疑われるのがイヤだな」みたいに思う場合には、それは天秤にかけて「会社なんて行きたくないけど、それ以上に休む方がいろいろ面倒で心が重くなる」ということなので、会社へ行けばいいでしょう。

ここでちょっとだけ注目してほしいのは、「気持ちが楽な方を選ぶこと=心の方向と行動の方向が同じ状態」になっていることです。

会社へ行きたくないけど、それでも天秤にかけてみたら会社へ行く方が気持ちが楽だと思った人は、「行く方が楽→だから行く」となるので抵抗がなくなりますよね。一方「行かない方が楽、なのに行く」の場合は、そりゃあ心がささくれ立っても仕方がないというのが分かると思います。

説明のために色々書きましたが、実際こんなに理屈っぽく考える必要はまったくありません。あんまり深く考えずに、感覚的に少しでも気持ちがいい方・気持ちが楽な方を選べばいいのです。

考えるというよりは、「どっちが気持ちが楽かなー」くらいのゆるいかんじで選ぶのがコツです。

 

考えても解決しないことは考えない

そんなゆるい感じで選んでしまっていいの?すごい重い問題なんだけど…!?と思うかもしれませんが、重い問題こそこのくらいゆるく選択していっちゃった方がいいように思うのです。

考えて解決することなら力の限り考えればいいと思いますが、人が思い悩むことの大半は考えてもどうしようもないことなのです(だから悩むのであって)。

なので、思い切って考えることをやめて、単純に気持ちが楽な方を選んでしまいましょう

時間は有限です。80年の人生も、1時間のお昼休憩も、同じ「有限な時間」です。

お昼の休憩1時間しかないなら、その時間おいしいものを食べて、スマホいじるなり同僚とお茶するなり昼寝するなり、そういう好きなことをやって休みたいですよね。逆に、誰も頼んでいないのに、お昼も食べずに1時間ずっと「こんなお昼いやだいやだいやだ…」とぶつくさ言い続けている人がいたらあなたは何て声をかけますか?「そんな何の役にもたたない文句ばっか言ってないで、せっかくの昼休みなんだからおいしいもの食べてゆっくりしたらどうなの?」と言いたくなりませんか?

人生も同じです。昼休みよりは長いけど、それでも有限の時間なんですから、少しでも気持ちがいいことをした方がいいに決まっています。

 

「好きなこと=気持ちが楽なこと」である必要はない

それでも大人としては「自分の好きなようにできたら世話ないよ、それができないから苦しいんじゃないか」と思ってしまうので、だからこそ、この天秤戦法は有効なのです。「Aか、Aじゃないか、どっちがより気持ちいいか」それを問うだけです。

もしここまでの説明を読んで、それでも「自分の好きなようになんてできっこないよ!」と思う人は、きっと「好きなようにしてしまうと、好きなようにしないよりもっと大変なことが起こるはずだから、それの対処が面倒くさいから、だから好きなようにしない方が気持ちが楽」ということなのでしょう。

だったら、「好きなようにしない」方を選べばいいのです。気持ちが楽な方を選ぶ=好きな方を選ぶとは限らないし、それでいいのです。好きかどうかより、気持ちが楽なことの方が大事です。

だって、好きな方と好きじゃない方の差はほとんどないのですから。こうして見ると、シンプルだと思いませんか?

 

実際に経験したできごと

私が実際経験したことです。そんな大した話ではありませんが、この話と同じくらい、世の中は大したことない出来事のほうが多いと思います。

当時、私は仕事がだんだんイヤになってきていました。ある一定のノルマをこなしていれば短時間労働にもかかわらず十分なお給料が出るのでよかったのですが、ある日周辺環境が一変。なかなかその一定のノルマがクリアできなくなり、その場合会社の規定でお給料が下がることになっていました。今までよりもより多くの労力をかけないと、今までどおりのお給料は維持できなくなってしまったのです。楽にお金が稼げるからやっていた私にとっては、今までどおり「楽」にやっていたのではお給料は2/3くらいしかもらえなくなるのです。

「仕事イヤだな」が相当自分の中に積み重なっていたので、そこで自分に問うてみました。

「仕事やめる?やめない?」

すると心は「そりゃやめたいけど、今更新しい仕事探すのも面倒くさいし、でも給料減ったら生活に困ってしまうし…」などと、あーだこーだ言い出します。

そういったもの全部ひっくるめて、「で、結局、やめる?やめない?」と問うてみると、「仕事やめない」より「仕事やめる」の方が気持ちが重かったので、結局「じゃあ、やめない」と決めました。ちなみに、同僚の中にはこの給料が下がるかもしれない危機感でやめた人が4人います。でもとりあえず私は自分の気持ちが楽な方を選んで、会社に残りました。お金はまあどうにかなるんじゃないかと根拠なく思っていました。当時の私にとっては、それより新しい仕事を見つける方が面倒くさくて気が重かったというわけです。

その結果…

なぜか会社の規定が変更されて「ノルマ廃止。給料の減額は行わない」という通達がありました。けっこう規模が大きい会社なので、こんな簡単に規定が変わってしまった(しかも社員の都合のいいように)のが不思議でなりませんでしたが、結果オーライ。ゆるーく仕事しながらでも十分なお給料をもらい続けることができました。

なんでこうなったかというと全然よく分かりませんが、それでも自分の気持ちが楽な方に従っていれば状況の方が自分に都合のいいように変わってくれたというよい例と言えるでしょう。

このとき「やめる」方が気持ちが楽で、そのままやめていたとしても、それはそれでもっと楽で儲かる仕事が見つかったりとなんだかんだうまく回っていったと思っています。

そのくらい選択自体はどうでもよくて、気持ちが少しでも楽な方を選んでいけば、最終的には物事はうまく回るということです。

ちなみに、その後「やっぱやーめた!」とある日突然この会社をやめました(笑)。なんとなく、新しいことを始めたいと思うようになってそっちの方が気持ちがワクワクしてきたので、そちらを選んだということです。今のところ、新しい仕事も普通に順調というわけです。

 

まとめ:よく考えたら当たりまえすぎる結論

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私の例(ほんの一例でしかありませんが)だけを見ると、「まあ、偶然うまく行ったんじゃない?」とか、逆に「すごい!何か超越した力が働いているのでは!?」などと両極端な感想を持つ方がいるでしょうが、それが両方とも正解だと思います。

こんなの単なる偶然だろうし、同時に超越した力が働いている、と。

つまり、気持ちが楽な選択をしていれば、どう転んでもそこそこうまくいくのです。なぜなら、そっちを選んだ時点ですでに「気持ちは楽」なわけですから。それだけです。「気持ちが楽なのに、イヤな思いをする」というのは矛盾なのであり得ないのです。たったそれだけ。

そして、気持ちが楽な選択をしなかったということは、その時点ですでに「イヤな気分」なわけですから、その選択自体はイヤなものになるのです。それだけです。

選択自体は常に中立で、別によくも悪くもないのです。どんな選択であろうと。

そして、その選択に対して「いい」とか「嫌だ」とかいう属性を先に決めているので、その属性を与えた物事は、その属性どおりに見えるでしょう。その後の展開は、正直どっちを選んだとしてもそれなりにどうにかなってしまうのです。これは何でなのかよくわかりませんが(笑)、そういうものなんだと思います。

ちょっとでも心が楽に感じる方向へ。何かイヤなことがあったら、これだけ、ほんのちょっとだけ試してみてください。

気持ちを楽にして損することはないですよ!

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