SAPEUR(サプール)という強く静かで美しい主張|MODSに通じる美学

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写真引用元:https://beyondvictoriana.com

数年まえにNHKの番組で初めて目にしたSAPEUR(サプール)SAPE(サップ)というファッションスタイルの伝道者のことです。

舞台はアフリカのコンゴ共和国/コンゴ民主共和国。カラフルでモダーンなスーツで全身をビシッときめた男たちが、舗装もされていない道を闊歩する様子に目が釘付けになりました。

彼らサプールの姿が、イギリスの伝統的労働者階級的カウンターカルチャーであるMODS(モッズ)に重なって見えたのは、私がモッズに入れ込んでいた遠き青き日々を思い出したセンチメントのせいだけでしょうか。

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SAPEUR(サプール)という精神

そもそも、サップとはどこから生まれてきたのでしょうか。

もともとフランス領だったコンゴ。サップの起源については定かではないようですが、いずれにせよそのお手本となっているのはパリの洗練されたモダンなダンディズムで間違いないでしょう。

一時衰退したサプールを復活させたのはパパ・ウェンバ

1960年代には一時期このサップの流行は廃れていたようなのですが、サプールを復活させた象徴的アイコンが、あのパパ・ウェンバだったということにびっくり。

パパ・ウェンバはコンゴ出身の歌手で、リンガラポップというアフリカ独自のポップミュージックを世界へと広めた第一人者です。ユッスー・ンドゥールやサリフ・ケイタなんかと並んで1980年代のワールドミュージックムーブメントで世界中を席巻した存在。

ハイファッションブランドのスーツに身を包んだこの「アフリカが生んだスター」は、ストリートの憧れの対象となり、その姿はかつて隆盛を誇ったサプールへの回帰へと繋がっていったようです。

延々と続く内戦の混乱の中でも受け継がれたスピリット

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写真引用元:http://imgur.com/gallery/GB2T5

そんなコンゴのお洒落メンたちですが、実際にサプールの存在が世界に知られるようになったのはここ最近です。90年代に彼らの存在なんて全然聞いたことがありませんでした。

理由はシンプル。長きにわたる内戦のせいでしょう。2006年に和平合意によって民主化されて以降、こうしたサプールたちの実態が徐々に世界に知られるようになったようです。

内戦でボロボロになってしまった貧しい生活の中、それでもサップの精神を持ち続け、ゴミの山や廃墟と化した街を太陽のようにエレガントなファッションで練り歩くサプール。もはやそれはただのファッションなどではなく、生き方です。

ただでさえ少ない給料のほとんどを洋服代につぎ込んで、その洋服を着込んでただひたすらに街を闊歩する。彼らは食費を削ってまでも洋服を買うのです。そこまでして、なぜサプールであり続けるのでしょうか。

サプールは街の憧れの存在ですが、普段はほかのみんなと同じような安物の服を身にまとい、必死で働く労働者です。それが週末になると高級スーツに身を包み、カッコつけて街を歩き、称賛の対象になるのです。

以前NHKの番組を見て、サップとは単なるファッションではなく本当は彼らのスピリッツを指す言葉であることが分かりました。

番組に出ていたシングルファザーの若い男性。彼の母親いわく、以前はいい加減だった息子が、サプールになってからは真面目に働くようになったとのこと。また、サプールはファッションだけでなく、街の人たちのお手本になるような身の振る舞いが求められるということでした。

きっと、内戦で混乱しっぱなしのコンゴにおいて、人々に夢を与える存在であり続けたのがサプールなのでしょう。

どんなに貧しく内戦ですべてを奪われたとしても、自分たちのこのサプール精神だけは誰にも渡さないぞ!という、なんとも気高いプライドを感じるのです。

MODSに通じる美学

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写真引用元:http://www.vintagefestival.co.uk/

MODS(モッズ)とは1960年代のイギリスの若者文化で、音楽とファッションをベースに一大ムーブメントを作り上げていきました。

主に労働者階級のティーンエイジャーの間で流行したスタイルで、その後1970年代後半のネオモッズ、1990年代のネオネオモッズ(←ブリットポップのことです)へと受け継がれてきました。最近はもうリバイバルしていないようですけれど。

三つボタン、サイドベンツ、ダブルポケットの細身のスーツは当然オーダーメイド。ポークパイハットをかぶって、カスタムしたど派手なイタリアンスクーターで街を走り抜ける。

私がテレビでサプールの姿を初めて見たとき、一瞬「これはアフリカのモッズか?」と思いました。

もちろん、モッズはあくまで若者文化であって、既存の大人に対するカウンターカルチャーです。ある意味パンクのハシリみたいなものです。大人はモッズを認めませんし、当のモッズたちも大人になると卒業してしまいます。その時点でサプールとは性質を異にするものであるのですが、根底に流れる「美学」は近いものがあるように感じます。

その類似点というのは、どちらもカウンターカルチャーであることと、そのカウンターを「ファッション」という美学で徹底的に研ぎ澄ましていることです。

スタイリッシュであることだけが正義。洋服こそが自分を示すアイデンティティであり、自分の精神の象徴。だからこそ、ほかの何を犠牲にしてでも洋服にお金をつぎ込む。

お金持ちが高い洋服を着るのではなく、お金がない人間があえて洋服にお金をかけることに美学があるのです。精神としては「武士は食わねど高楊枝」に近いものがあるかもしれません。

逆に違いは、カウンターの矛先が違うという点でしょうか。なんだかんだ言って平和が保たれている先進国と、常に危険と隣り合わせの途上国では、主張の向かう先が異なるのも当然と言えます。

サップは若者だけの文化ではありません。長老みたいなおじいさんがサップの師匠として若いサプールからも尊敬を受けているのです。モッズにとっては大人が最大の敵ですが、老若男女から支持されるサプールにとっては「平和を奪うもの」こそが最大の敵なのではないでしょうか。

声を張り上げて主張するのではなく、洋服で主張する

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写真引用元:http://www.fashion-press.net/

今、このサップという美学が世界中で注目される理由はなんでしょう。アフリカの一地方の単なるファッションでは収まりきらない何かがそこにはあります。

彼らは声高に何かを主張するわけではありません。スタイリッシュに高級スーツをきめこんで、街を闊歩し、カッコつけて見せるだけです。ほんとうに、たったそれだけなんです。

そしてその行動こそが、彼らの主張なのです。声にするよりずっと大きい影響力を持つ、平和への主張。彼らはそっとこう言います。「ファッションを楽しむためには平和が必要。それだけなんだ」

サプールの美しさは、彼らの精神の美しさと確固たる信念によるものでしょう。

物事の本質を見たような気がします。そして今のような地球全体が疑心暗鬼な時代だからこそ、世界中でサプールの美しき主張というのが「憧れ」をもって受け入れられているのではないでしょうか。

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